2014年05月21日

落札から物件明け渡し(21)

 

 3月14日の月曜日、自宅は第2グループなので9時~13時ごろ、職場は第4グループなので13時50分~17時30分の計画停電の予定がたてられていました。奥さんは9時までに洗濯など終わらせようと朝から忙しそうです。子供たちを学校に送り出したらすぐ停電ではちょっとかわいそうだなと思いながら、まるもりも少し早目に家を出ます。


 停電になってしまうと仕事ができなくなってしまうので午後1時半までに今日の仕事を一段落つけなくてはいけません。14日は埼玉はほとんど電車が止まってしまっている状態であるので欠員もありましたができる限り時計とにらめっこしながら仕事をこなしていきます。


 昼くらいに同僚がまるもりに声をかけました。
「まるもり、また福島第一原発で爆発があったみたいだぞ。」


「えっ、またかい。また水素爆発なのか?」


「はっきりしないが、半径20km以内の屋内退避が呼びかけられているみたいだ。」


福島第一原発3号機で水素爆発、11人けが 投稿者 samthavasa

「うーん。大丈夫なのか....。まあ東京電力と政府を信じるしかないんだが.....。まあ、関東は大丈夫なんだろうけど......。」


「いずれにしてもちょっと不安ではあるがな....。まあ1時までもう少しだ、なんとか一段落つけないとな....。だが、物はこないし、人はいないしでなかなか厳しいな.....。」


 なんとか1時半までに一通りの仕事を一段落させ、パソコンの端末の電源をすべておとします。
 2時過ぎに一斉に照明を含めた電源がドンと落ちました。


「停電中は開店休業だな.....。」そういうとまるもりは椅子にもたれました。


 このあと、刻一刻と、原発事故の深刻さが明らかになってくるとはまだまるもりは想像だにしていませんでした。


 おまけですが、このころ、報道はされていませんでしたが、西への避難民で東京駅はあふれていたようです。

  ↓  この翌日の配信のニュース

<東日本大震災>東京駅にも避難者の列
毎日新聞 3月15日(火)19時34分配信

「もう、何を説明されても信じられない」。JR東京駅では、平日にもかかわらず、東海道新幹線の切符売り場に名古屋や大阪などへ避難する人々の列ができた。
家族全員でマスクを着け、小走りで改札口に向かう姿が目立った。

千葉県市川市の女性(31)は、長女(6)と長男(4)の手を引いて切符売り場に並んだ。16日には長女の卒園式が予定されている。「式の後まで待とうと思ったが、 朝のニュースを見て待てないと思って」。茨城県つくば市の女性(36)は、午前中に車で東京都内の夫の実家へ逃げ、その足で京都の実家に向かう途中といい、「小さな子の体内に蓄積されちゃうと困るから」と、4カ月になる乳児を抱きしめた。

この日朝、職場の仲間に声をかけ、みんなで避難を決めたというのは新宿区で飲食店を営む男性(30)。「手遅れにならないうちに東京から離れたくて」。 店のスタッフとその家族の20人ほどで「とにかく西へ向かう」という。

西日本へ向かうこの日午後の新幹線指定席はほぼすべて満席という。


 報道規制あってあまり大きくは報道されていませんでしたが結構すごかったみたいです。
 この時はそんなこととは夢にも思わず、まるもりは避難はかんがえていなかったですがね.....。


posted by まるもり at 20:51| Comment(0) | アパート経営奮闘記 | 更新情報をチェックする