埼玉県内でもかなり揺れがあり被害がでているようでした。職場の方が一段落して帰るころには午後の7時半をまわっていました。まるもりは車通勤なので車で家に向かいます。固定電話も携帯も、携帯メールもとどかない状態で、物件のことなど考える間もありません。なによりも家族のことが心配です。ともかく自宅に一刻もはやくもどらなくてはいけません。
都心では帰宅難民が続出していた時間帯です。道路はいつもより込み合っている感じですが、都心からの放射線方向の幹線は込み方がひどいものの、まるもりは東西方向(職場が自宅からみると西側なので都心からみると環状方向の移動になる。)なので比較的スムーズに運転できました。荒川を渡れば自宅のあるK市なのですが、荒川の向こうは暗黒の闇の世界でした。
そう、K市は全面停電状態でまだ回復していなかったのです。(高崎線沿線がかなり広範に停電になったようです。)荒川の橋をわたると街は漆黒の闇です。車のヘッドライトだけが頼りです。市内は信号も完全に消えてしまっており、交差点では車がどっちが先にいくかで立ち往生の状態。向こうから車がつっこんでくるかもしれないという恐怖。信号がつかない交差点の恐ろしさは人生初の経験でした。
カーラジオからは三陸の海岸沿いの町が壊滅、都内な千葉などでも火災、天井が落ちて死亡者が出ているなどという想像を絶する被害状況が刻々とながれてきます。やっとのことで車を駐車場にとめ、自宅に向かいます。
「ただいま。」まるもりが自宅のドアをあけて家に入ると
「よかった、パパかえってきたよ。」と奥さんの安堵の声がかえってきました。
家の中は停電でまっくらです。次女が障害があり、危険ということで石油ストーブのない自宅は3月中旬の夜の冷え込みで冷え切った状態でした。