2011年3月11日、まるもりは普通に職場で仕事をしていました。午後3時前.....。
職場の机で端末を打っていたときにまるもりは一瞬眩暈に襲われたような気がしました。
そのあと、激しい揺れが襲ってきます。「地震だ!大きいぞ!」誰かが叫びます。
嵐の海の中の船の上のような激しい揺れ、本当は何かに隠れなくてはいけないのでしょうが、まるもりはなぜか本棚が倒れないように必死で抑えていました。(とっさのことでどうしてそうしていたのか今から考えるとよくわかりません。)
ふつうの地震の揺れと違い、長い間地震が続きます。一体いつまで続くんだろうという時間の長さでした。
揺れが収まると床は一面、棚や机から落ちたものが散乱している状態でした。幸い、窓ガラスなどは割れておらず、部屋にいた者にけがなどはなかったようです。
揺れがおさまって、それらを片付けている間にも次の余震と思われる揺れにまた襲われます。まるもりの職場は幸い停電にならなかったのでテレビがつきました。「発生時刻、午後2時46分、震源地は東北おき、宮城北部で震度7....。」
「震源地は東北なのに、ここがこんなに揺れるなんて......。で、大津波警報ってなんだ?」
まるもりは家族のことが気になって仕事の合間に携帯で電話をかけますが.....。自宅にも、妻の携帯にも電話はつながりません。一体なにが起こっているのか、これからどうなるのかまるもりには全くわからない状態でした。
取引先にも電話がつながりません。職場では緊急会議が召集され、職場の地震の被害の確認作業が行われました。その間にも断続的な余震と思われる揺れが続きます。
テレビでは津波に次々と飲み込まれる三陸沖の町が写されていきます。仙台空港が津波に飲み込まれるシーンはまるで映画の一コマで現実のものとは思えない光景です。
これがまるもりが夢にも想像することができなかった東日本を襲った未曾有の災害の始まりだったのです。